そこに達成したい目的はあるか?
- sugi220513
- 2022年8月22日
- 読了時間: 3分
更新日:2022年9月7日

こんにちは。花*花です🌸
8月も下旬となり
暑さも和らいでいくのでは?と思うと
ホッとします。
そんな夏の終わりにかけて
我が家のベランダに綿が実りました。

元々この種は、ある方にタオルを頂いた時
箱の中におまけとして入っていたものです。
『このタオルは、この種から出来ています』とタオルの横にちょこんと透明ケースに入った種が添えられていました。
鉢に植える時は綿を取り除き
中の種だけを蒔くのだそう。
『大事に育てた綿で肌触りの良いタオルができました。どうぞ、ご自身でも綿作りをお楽しみ下さい^^』という、丁寧な想いが伝わってきて、ほんわか気分になりました。
へ〜面白そう!と思いつつ
花より地味な綿を思い浮かべ、育てる事の手間の方が先立ち、一旦は処分したのですが、
最初の直感「面白そう!」が引っかかり、数時間後にゴミ箱から取り出すことに。
自分でも
何に後ろ髪引かれているのだろう?と不思議に思ったのですが
綿って、育っていく過程を見た事ないので
その機会を捨てるのは勿体ないな、という想いと、
昔、実家で繭を作っていた母の事も潜在意識にあったかも知れません。
和裁もやっていた母は
TVで上質の着物を着た演歌歌手を見ると
自分の繭が、ここに繋がっている事に想いを馳せ、喜んでいました。
その様子は子供の私から見ても嬉しく
誇らしもくあり、自分の仕事観も、こんな所が原点になっているのかなと感じます。
綿は経験がないと、なぜか育てる事も難しい気がしてしまうけど、実際は水と肥料少々で順調に育ってくれました🍀

ダメ元だったので
出来た時は、すごい!ありがとう!という気持ちに😀
せっかくなので、ここから学んだことを
分析すると、、。
最初に失敗するだろうと思っていた理由は
綿が実るという最終結果に対し、
私は本気ではないという自覚があったからです。
育て方のマニュアルには間引きや添え木などが必要と書いてあったのですが
私は間引きは苦手だし、添え木もやるかどうか?位だから失敗するだろうなと^_^
植物の間引きって変な罪悪感があるんですよね。
子供の様な若い植物を摘み取るという、、。
綿が成るというゴールに本気でないから
こんな小さな罪悪感の方が勝ってしまう。
片付けなら、腹を括って物を処分する事は
出来るのに。
それは達成したい目的があればこそです。
どれだけそれに本気なのか?
覚悟ができているのか?
綿は、たまたま育ちましたが
片付けは小さな罪悪感を優先すると
なかなか整理が進みません。
すると収納のハードルが上がり
何とか詰め込んでも、実際の生活では
使いづらいです。
そして、物は時間の経過と共に増えるのが普通なので、又物で溢れ返る、という繰り返しになってしまう💧
もうすぐ片付けに適した暑くも寒くもない
季節がやってきます。
片付けよう!と行動し始めた時
それはダメ元で片付いたらラッキー🤞位なのか、
本気で目的を達成したいのか?
自問自答しながら進めてみて下さいね🌸

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