小学校の思い出と、取り繕う意味
- sugi220513
- 2020年7月23日
- 読了時間: 3分

こんにちは。花*花です🌸
今年はコロナの影響で何時から何時までが夏休み?なのか分かりませんが、
子供たちには楽しい思い出を作ってほしいですね✨
大人になった私達も、ふと子供の頃を思い出すことってありませんか?
私が記憶に残っている思い出の1つ、それは小学4年生頃の保健の時間。
健康がテーマだったと思うのですが、
先生が「排便の頻度」をみんなに聞きました。
誰も答えないので、端から順番に答えていきましょう!ってことになり、
一人づつ言わされるハメに(-_-;)
ですが、子供の頃、自分の体調なんて気にしてないし、排便の頻度なんて見当もつきません。
思い出そうとするより早く、
自分の番が徐々に近づき、、
どうしよう?回数が多いと恥ずかしいような、と焦った結果、
「1週間に1回くらい、、」とみんなを真似て答えた気がします。
ですが、最後の方に1人だけ「毎日」と答えた子がいました。
その子は普段おとなしく目立たない男子だったので、
私はすごく驚いて「え~!恥ずかしくないのかな?勇気あるな~!」と思いました。
そして、最後に先生の、
「〇〇君以外、みんな便秘なのね~、実は毎日出る方が健康で理想的なんですよ。」
という答えを聞いた後は、自分の考えが恥ずかしくなり、
「〇〇君って、もしかして大人なのかも!?」と見直した記憶があります。
今思うと、子供らしい未熟さの混じった懐かしい思い出です^^;
そして、
この話は片付けと大きな共通点があるな~と感じます。
時々、家が散らかっているから帰りたくない、くつろげないという話を聞きますが、
そういう方は、家が使わない物をため込んで、便秘状態になっています。
身体は食べて出すを繰り返しているから健康でいられる訳で、
家も同じなんですよね。本来は。
1つ買ったら1つ捨てる位でいないと、自分の空間は段々、物に侵食されて窮屈になってきます。
見た目も重い感じになって、掃除する気も失せてきますよね。
ただ、身体と違い、家は便秘で調子が悪いと気づきにくい、慣れてしまいがちです。
調子が悪いと気づいた時には重症化している場合が多いです。
重症化とは、身体に例えると薬で便秘を治すレベルではなく、数日入院レベルになっている状態。
実際、一人で要らない物を外に出そうとしても2~3日で終わるなら良い方です。
家も身体も便秘は自分に悪影響!
これが1つ目の共通点。
そして、
2つ目の共通点は人目を基準にすることの弊害です。
小学生の時、私は人目を気にするあまり、健康という1番大事なテーマに集中できていませんでした。
たかが小学校の授業の一コマ?と思いきや、決して軽視できないことだと思うんです。
先ほど、自分の思い出を子供らしい未熟さ、と言ってしまいましたが、
歳を重ねる度、自分を出せるようになっていったか?人目を基準にしなくなったかと言えば、そうでもなかったんですよね。
^^;
勿論それが、協調性や空気を読む、みたいなことに繋がることもあるとは思います。
でも、取り繕うことに慣れ、繰り返し、それが上手くなったとして、
一体、自分に何が残るんでしょう?
「取り繕う」の意味を調べると、
中身が伴わない状態で外見ばかりを整えること
と書いてあります。
そう言えば、自分の家に満足できなかった頃、人からはキレイにしてるね~と言われても、自分は何だか、今一生活しづらいと感じていました。
正に中身が伴わない、外見だけを整える片付けをしていたんですね。
小学生の頃、私と同じ答え方をしていた子は多かったので、
大人になっても人を基準に物を持っている人、外側だけ整えている人、
又は、そのことに気づいていない人は意外と多いのかも知れません。
思考の癖ってなかなか分かりづらいので、私も日々精進です^^;
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