居たい場所はそれぞれ
- sugi220513
- 2017年10月23日
- 読了時間: 2分

仕事柄、「捨てるのが苦手です」という言葉を良く聞きます。
思い出品でもないのに、モノが捨てられない場合、理由として、
「何となく罪悪感」
というのがありますね。
なので、今日は罪悪感を少しでも軽くするために、
先ずは、私たちが簡単に捨てている生活ゴミの定義について考えてみたいと思います。
皆さんは、ゴミにどんなイメージを持っていますか?
ゴミを一言で表すとしたら何と答えますか?
「使い終わったもの」
「要らないもの」
「古いもの」
「汚れたもの」
等など?
先ず、汚れたものだと、全てのゴミには当てはまりませんね。
例えば、お菓子の袋ならば、食べるまで衛生的に食べものを包んでいてくれたもの。
食べてしまえば、包むものが無くなる=不要になる=捨てる、となります。
そう考えると、
ゴミ=あるモノがお役目を終えたもの
になるのではないでしょうか?
モノの役目=モノの仕事です。
私たちも仕事をする時は仕事場、仕事部屋などにいて、終えると自宅、安らげる場所に帰ります。
何をするかによって「居たい場所」って変わります。
役目を終えたお菓子の袋も同じく、テーブルの上が価値ある場所で、ゴミ箱が価値の無い場所では無いハズ。
ゴミ箱も焼却炉も、それぞれ、モノの役目に応じた場所があり、そこが1番安らげる場所なのではないでしょうか。
それは抵抗なく捨てられるゴミに限らず、何となく置いているだけのモノも同じく。
燃えて気体になっても大丈夫。
水という液体が氷という個体になれば素晴らしく、
水蒸気という気体になると、はかないですか?
目に見えるもの、見えないものに優劣はありません。
私が水の立場なら、雨ニモマケズ、喉が乾いてる人があれば水になり、熱を出した人があれば氷になり、乾燥した冬には水蒸気になりたいです。
なので、今日からは先ずゴミや
使わないモノ(思い出以外)に対する認識から
少し変えてみませんか?
生活ゴミにも「お疲れ様でした」と「ありがとう」の気持ちを持てたら良いですね。
鳥は空を飛びたいし、魚は海や川で泳ぎたい。
自分と同じ地上じゃなくて可哀想と考えるのは酷な話。
モノにとっても案外、あなたの家は仕事場かも知れず、帰りたい場所は他にあるかも知れません。
お役に立って喜ばれているならともかく、
「使わないなら開放して~ヽ(;▽;)ノ」って言っているかも知れませんよ。
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