「問題」は生きた教材
- sugi220513
- 2017年1月31日
- 読了時間: 3分

生きていると、様々な問題に出会いますが
家が片付かないという事も、人によって大きな問題になることがありますね。
散らかっていても気にならない人もいれば、片付いているように見えるのにスッキリしなくてイヤ!という人も。
以前の私は後者の部分が大きかったです。
解決できなかった理由は「解決方法」より「問題(困ったこと)」に目を向けていたから。
「簡単なのでは?」と思えば簡単になっていくのに「難しいよね~、なかなかね」と脳に問いかけるから
「そうそう、こうだから難しいんだよね(-.-;)」と脳が同意、共感してくれ「解決できなくてもムリないよ~」と真剣に働いてくれない。
でも、
脳は自分ではなく、別の助っ人なのです!(関連記事☆)
問題は生きた教材
例えば、家庭科の授業でミシンの使い方を学んだ後、実際にミシンで雑巾を塗ってみましょう!となった時、生きた教材とは、
「あれ?糸の通し方が分からないんだけど?」「上糸と下糸が絡まるのは何で?」のような気づきです。
頭では理解したつもりが実践となると上手くいかないって良くあることですね。
実生活では「ミシンと格闘してる暇があったら、雑巾なんか100均で買ってくるわ!」ってなる人も多いでしょう。
すると、ミシンの授業はムダになってしまいます。
時間とお金をかけて学んだ事は
何でも実行して試行錯誤して初めて自分の力になるのですね。
そこで、現実の問題は生きた教材、チャンスとなる訳です!
その時こそ、私達が蓄えた知識が本物かどうか確認できる絶好のチャンス。
道に迷ったという問題は、
外国ならば学んだ外国語が伝わるかどうか実験のチャンス!
買ったばかりのスマホを研究段階の人なら、スマホを活かせるかどうか実験のチャンス!
小さな子供なら、お母さんに教えられている通り、誰かに助けを求めて解決できるかどうか実験のチャンス!
片付け本を読んだ人、ノウハウを聞いた人は、まだ片付いていない自分の家、という問題が生きた教材になります。
「問題=困ったこと」ではなく
「問題=課題」ですね。
学校では課題を出されなければ楽ですが、力もつきませんね。
子供の時の宿題も大人になってからの問題も面倒くさい事ではありますが、
「チャンス、チャンス、、チャンスなのだ~!!!」
と、頑張るしかありませんね^^;
そうそう、問題をトラブルだと認識しているうちは脳は私達を助けてくれません。
課題、ゲームを攻略するような意識でいれば、最大限の努力をしてくれます。
上手くいかなくて大損したらどう考えるか?
学校や塾にいくら払ってる?学んだ事を全部、生活に活かせてる?架空のゲームに多くのお金使ってない?1分、1秒を真剣に生きてる?
私達は既にムダになるリスクを何時もしょって生きています。
問題が起きたら、不安になるのではなくリアルゲームでハラハラドキドキを体験しよう!くらいの気持ちでいれたら良いですね。
上手くいけば達成感も半端なく解決能力も上がるでしょう。
何度も何度も同じような問題を抱える場合は
「前にちゃんと取り組まなかったから、もう1回」
「もう少し考え方を変えた方が上手くいくよ」
「まだまだ伸び代あるよ!」
という天からのメッセージかな、と私は思うようにしています^^
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