「視界に入ってから認識するまでの時間」を捨てた
- sugi220513
- 2016年6月9日
- 読了時間: 2分

問題です!
この中に人は何人いますか?
鳥は何羽?
食べものはいくつ?
こんな事を何回も聞かれたら面倒になりますよね。^^;
視界には入っているけど、探さなければ認識できない。
なぜ、探すのか?
→沢山のものがあるから。見づらいから。
これは楽に生活する為の大きなヒントになります。
「自己紹介と花*花の由来」☆の中で、私はこんな事を書きました。
「アイデアをふりしぼり、隙間なく詰め込んだ収納が裏目に出て、
ホントに大切な物がそうでない物にまぎれて把握しづらい、
見えているのに目に飛び込んでこない、
出すのに手間がかかる、
それがモヤモヤの正体でした」
これに気づくのに一体どれだけの時間がかかったでしょうか。
なぜ、気づけなかったのか?についても「自己紹介~」に書きましたが、一言で言うと、
片付けている時の自分と、
使う時の自分の心の状態が違う
という事に気づけていなかったからです。
冷静に片付けている時は
全然着ない服でさえ、
全然使っていない食器でさえ、
思い入れのない物でさえ、
捨てるには値しない物になってしまうのです。
そして、どうすれば残せるか?を考えてしまう。
ここにラックを置けば、ここに収納グッズを使えば…
「やった!置けた!」となってしまう。
その喜んでいる自分を本当の自分だと思ってしまう。
でも普段の私に戻ると、バタバタしている朝もあり、疲れが出てくる夕方もあり、考え事をしている時もあり、
そんな時に、最初のような質問を自分にする事になるのです。
「あれはどこ?確かここにあったはず…(´・_・`)」
「あ~奥にあった(´д`)」
「これを一回出さないと(>_<)」
時間や気力のない時に、狭い空間で無理のある体勢で、プチストレスの連続。
そして、このプチストレスこそが、更に時間や気力を奪うのです。
大体、家事のメインは料理や洗濯や掃除であるはずなのに
それに付属した物の出し入れに手間取るって変ですよね?
冷静に片付けている自分より、
普段の自分が圧倒的に長い時間を生きているのですから、普段の自分に合わせた方が良い、と私は思っています。
でも、誰にとってもそれが良いとは言えません。
やっと見つけ出した自分にとっての心地良さ❦
何か参考にして頂ければと思います。
(^-^)

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