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いくつになっても、明日を夢みる

  • 執筆者の写真: sugi220513
    sugi220513
  • 2016年1月8日
  • 読了時間: 5分

人生の達人

こんにちは。花*花です。

1月5日の新聞記事に目が止まったので、先ずはこちらをお読み下さい。↓

「母親の断捨離が止まらない」 (相談)

母親の「断捨離」が止まらなくなっています。1人暮らしとなった今、確かに食器や古着など処分した方がいい物があるのも事実ですが、次第に「無駄遣いしすぎの人生だった」と自己嫌悪を募らせ、長年楽しんだはずの雑貨・雑誌のコレクションまで処分しようとしています。世間では「片付け」本が人気で、「断捨離」がもてはやされていますが、そんなに礼賛されることでしょうか?(40代・女性)

(新聞回答)

うちの母などは何も片付けられないので、あなたのお話は少々羨ましいですが、確かに母親が片付けに走り出すと寂しく感じるものですね。

 しかし、物はたまります。先日、昔の人は40代から人生の片付けを始めたと聞いて反省し、私も大量の本を徐々に処分し始めました。といっても、必要そうな人に要るかどうか聞いて、何かの折に差し上げる程度ですが。それでも創刊から大事に買い続けてきた雑誌「ダンスマガジン」全号を引き取ってもらった時は肩の荷が下りたような気分になったものです。

 どこかに寄付する手もありましたが、私の助言でバレエを始めたという友人の娘が18歳になり、プロのバレリーナになりつつあるのを知って、申し出た次第です。彼女の父はそのために本棚を一つ買い足してくれました。

 あなたのお母さんにお勧めしたいのは、そういう相手を探して丁寧に物を処分していくことです。できる限り相手の顔が見え、自分のコレクションを大事に思ってくれる人を探すのも人生のある時期の楽しみだと思います。

 単なる処分では今までの自分を否定しているようで気持ちもよくありません。引き継ぐイメージを持ちましょう。たとえ食器一つ、古着一枚でも必要としている人はたくさんいます。無駄な物を買ったなんて思わず、里子先を見つけることを新たな目的にしてください!(劇作家)

片付けるためにどうしても避けて通れないこと、それは物を捨てるという行為です。

「特に苦労せず物を捨てられる人」に私は2つのイメージを持っています。

1、あまりこだわりのない人

2、自分軸を持っている人(何が大切なものかを見極められる人)

私が目指す、目指して欲しい「捨てる(整理)」は2です。

物の整理=心の整理

なので自分の本心と連動していない片付け、ブームに乗っているだけの片付けは確かに考えものですね。

しかし、片付けないといけない理由がある時、体力、気力の無い時、時間に制限がある時、お金もかけられない時などは全ての物に心がどうのこうのと言っていられない時もあるでしょう。

それが不要な物をため込み過ぎた人のリスクかも知れません。

減らせば減らすほど良い、早く捨てられるほど良い、という訳でもありません。

捨てられない自分を責める方もいますが「捨ててはいけない」という刷り込みが幼い頃からされていただけかも知れませんし、片付けに慣れてないだけの事も多いですから心配いりません。

逆に「捨てられる人(冷たい人)は良いよね」と思う方もいるかも知れませんが、何でも勢いだけで捨てるとリスクが発生しますし、片付けて「快適」を手に入れた人は物と真剣に向き合ったり、何かを覚悟の上で捨てており、気楽でお得な性格なのでもありません。

捨てる事には痛みも罪悪感も伴うかも知れませんが、そんな時は「宝」を拾ったと思えば良いです。

次に物を家に入れる時、慎重に考えるようになってきます。

残った物を大事に出来るようにもなります。

(数が減るから1つ1つに時間をかけられるという物理的な理由もありますが)

私も数々の失敗を経て今に至っていますし、偉そうなことは言えませんが(言ってるか…?)この新聞の相談者さんのような方がいれば、お母さんの話を良く聞いてあげて下さい、とお伝えしたいです。

「みんなが捨ててるから捨てるのが良いのでは?」とか、単に強く言い切る人に洗脳?されてる感じなら「それは違うんじゃない?」ってお伝えしたいですね。

「本当に捨てたいけど不安もある」なら目に触れない場所への保管から始めても良いかも知れません。

いつでも思い出せるように、捨てる前に写真に納めても良いですね。

又、娘さん自身が「思い出の中の母のままでいて欲しい」と思っていることが違和感の正体なら、自分の気持ちも分析してみると、新たな発見があるかも知れません。

母に理想(昔の面影)を求めているなら、子供にも素直だった頃の面影を求めているのかも知れない、自分も変化したいのに「母として、妻として、○○としてこうあるべき」という制限を自分にかけて、本当は無理をしているのかも知れない等。

現状は変えられなくても「自分はこういう事を感じていたのか」と分かるだけでスッキリする事もあるでしょう。

変える方法を探ることで自分の幸せが広がるかも知れません。

こんな風に何かが少しづつひも解かれていくことが、私は片付けや歳をとることの醍醐味だと思っています。

「家族にまつわる片付け」には意見が合わないという問題も良くありますが、そんな時は相手や自分を知るチャンス

思い出が大切なように、人生に新鮮な風を取り入れる事、知らないものに触れたいという好奇心も心の栄養。

今後の変化に対する準備の片付けも老い支度というより、いつまでも快適に暮らす為の前向きな行動で人生を閉じていくことではありません。

どんなに年輩の方にでも明日という未知の人生があり、頭で記憶をたどることはあっても、引き出しから何かを取り出し思い出にひたりたい人ばかりではないですね。

少なくとも、私の知っている60代~80代の人には寂しそうに、又は懐かしそうに、縁側でアルバムを開いているようなイメージの人はいません。

今日や明日の生活を考えて生きているように見えます。

そうじゃないと生活が成り立たないという現実もあるでしょうし、希望や目的も持っていて若いです。

子供の頃大人を見ると完璧に見えたり、すごい大人に見えたのに自分がそうなってみると、あれ?こんなもの?って感じる事ありませんか?

80~90代でも実際にそうなると、あ~若い頃とあんまり変わらないな~って思うのかも?

いくつになっても、明日に目を向けながら生きていたいな~と思います♪

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