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社会より自分の需要から

  • 執筆者の写真: sugi220513
    sugi220513
  • 2021年6月8日
  • 読了時間: 5分


こんにちは。花*花です🌸


最近、娘の就活の話を聞いていて

ふと、自分の若い頃を思い出しました。


そして

仕事にやりがいを感じるには

先ず、自分に需要があるかどうかで考えると分かりやすいかも?と改めて思った次第です。


例えば、りんごを作る、売る事が仕事なら

自分はどれ位りんごが好きなのか?無くてはならないものなのか否か?で

やりがいも変わってくるのかなと。


りんご好きな人にとっては

数ある種類のりんごの違いを人に教えてあげたり

どんな美味しさかを表現するだけでも楽しいと思うんです。

誰かと好きな話題で盛り上がってる時みたいに。


これって色んなヒントになりそうな気がするので備忘録としてブログに書いてみようと思います。

自分に需要のある事が他人に提供しやすい仕事

そう思ったのは初めてでは無いですが、

高校生の進路に迷っていた頃の自分にかけたい言葉がちよっと変わりました。


デザイン美術系の専門学校を希望して反対されてた私に、


以前は

「好きを仕事に!って考えで間違ってないよ、でも、もっと早く準備しとけば良かったね。」

と声かけしてあげたいと思ってました。


でも、こんな事言われても、当時の私は肝心な事には気づけなかったと思います。


今かけたい言葉は、


「デザインがしたいの?

自分の生活の中にデザインで力を貰えてることとかある?

無いなら今後、自分の生活の中に取り入れたいデザインは何?」です。


そんな風に変化した理由は就活で

「面接で答えたのに繰り返し同じような質問をされてしまった。」という娘の一言でした。

自分の答えに何か足りなかったのかな?と。

そう言えば私にもあったな。

答えても先生には響かなかったことが。

それは高3の進路指導の時。

デザイン美術系の専門学校に進みたいと言った私に先生は、


「デザイナーで食べていけるのは、ほんの一握りの人だけだよ。

具体的にどんなデザインがしたいの?」


曖昧に答える私に、更に先生は


「商業デザインとか工業デザインとか色々あるけど君はどんなデザインがしたいの?」と。

もう決めてないといけないの?と思いつつ、


それでは甘いんだよ、と言わんばかりの空気の中、

「就職が上手くいかなくても、デザイン会社の雑用とかでも良いんです。」と答えました。


一筋の希望でも、好きな事に繋がっていれば私は頑張れると思うと。


そんなのは論外とばかりに先生には


「とにかく、三度の飯より絵を描く事が好きって位じゃないと専門学校は勧められない。」と言われ、


私の考えって、そんなに甘いのかな〜と三度の飯も食べられない位、落ち込みました。


でも

好きとか嫌いとかじゃなく、

自分にとって、それは普段の生活の中で

お金を払いたくなる位の価値ある必需品?と自分に問えば分かりやすかったかも知れません。


自分が買うほどでも無いかな?と思う物やサービスを人に売るのは無理があります。


そう考えると、あの頃の私には、自分の生活に譲れないデザインや美とかが、なかったんですよね。


もしくはあっても、それが何なのか?

自分にどんな価値を与えてくれてるのか?

なんて考えた事はありませんでした。


例えば、部屋に大好きな絵を飾っていて

それが毎日、私に元気をくれるんだ!

落ち込んだ時もその絵が私を支えてくれる、とかなら


今度は私が元気を与える絵描きになりたいとか、

スタッフになりたいとか具体的な何かが言えたのでは?


服のデザインにだけはこだわる、家具にだけはこだわる、そんな事からでも糸口は見つかったかも?


そんな方法で将来の仕事をあぶり出すという発想だけでもあれば良かったと、今は思います。


高校生の私はちっぽけで、

社会は圧倒されるほど広い世界で、

無数の仕事があり、


そこからやりたい事、やれそうな事を選び出さないといけない、

当時は、そんな風にしか考えられなかったので。


その進路指導から2年後

インテリアという分野に出会った時は

やっと見つけた!と思ったのですが


仕事になると、やはり

勉強不足だけでは片付けられない、これってどれ位、意味あるのかな?

というモヤモヤ感が出てきてしまいました。


時間の経過と共に部屋は生活に必要な物でごちゃごちゃしてくる、

私が提案してるインテリアって活かされるのは最初だけなんじゃないか?


結局、家が素敵になるかどうかは、住む人次第なんじゃないか?


その時は

そうだ!やるべきは片付けの方だ❗️とか全然、思いもしませんでした。


細かい事にこだわっていたらキリがないと思いつつも、

もっと何かあるような気がして時間は過ぎていきました。



そしてやっと、その何かに気づいたのは、

やりがいだ何だと言ってられない

家事と子育てで、てんやわんやの最中。

片付けないとストレスが増していく、

ただ日々に追われていた頃です。


片付けの技術は気づいてしまえば楽だけど

そこに行き着くまでの私は


家事を楽にするつもりが、逆に

「間違った片付けの繰り返し」という家事を増やしている本末転倒状態。


そして、本当の片付けが、やっと理解できるようになった時、これは絶対仕事になる!

需要がある!と確信したんです。


そういうサービスが社会にない方が不幸だと思えるほどに。


片付けの仕事が飽きないのは、楽しいのは

自分の生活にとって1番価値あるものだから。


家が片付いた事で本当に私は救われました。


家事が楽になる、から始まって

最終的には自分好みの空間も作れる。


その空間で新たにやる気が生まれる。


空間をデザインする事で結局、子供の頃から憧れていた、仕事で美に関わっている私がいます。


美しい家に引越ししても、片付けが出来ないと、その美はキープ出来ません。


私は私自身が人の家を美しくしたいというより、

その人が自分で家を心地よく自分の美を追求していける人になる、お手伝いがしたい、

それが私の考える自分の仕事の価値です。


娘の就活先の企業も

この人は本当にうちの仕事に価値を見出せるんだろうか?という事を見極めたかったのかも知れません。

そんな事を考えていたら

合否関係なく、就活自体が大きな成長の場だなと思いました。


これは仕事だけでなく

全ての〇〇活に言える事かも知れませんね。


求めよ、さらば与えられん!


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