病院に運ばれる時、思うこと
- sugi220513
- 2017年8月18日
- 読了時間: 3分

1週間の長崎帰省から戻って来ました。
今年は思っていたよりも実家の片づけができ、まぁまぁ満足。
「あ~、でも、あと3日あれば、、、」
と毎年同じ様な事を思いながら戻っているような気がします。
片づけたい所はまだまだあり、頭の中は今だに片付け途中、、なれど、
身体はやはり疲れているのか、大阪に戻ってから2日連続で寝過ごしました(>_<)
目覚ましが全く聞こえず、今朝は娘のお弁当も間に合わず、、。
さすがに気持ちを切り替え、気合を入れないといけません!(ーー;)
さて、今回の帰省で、私は1人暮らしをしている77歳の父から興味深い話を聞きました。
少し前に、父は野菜畑で仕事をしている際、急に胸が締め付けられるような苦しさで動けなくなったそうです。
熱中症だと思うのですが、すぐ近くの家にさえ戻れるのか不安だったと。
そして、その時思ったのが、「しまった!トイレを掃除してない。病院に運ばれている間に、あれを人に見られたらカッコ悪いな~」と気になって仕方なかったと。
具体的にはトイレの目地に全体的に黒いカビが生えてしまい、掃除すれば取れるのは分かっていたけど、面倒でつい、そのままにしていたそう。
そんな時に、まさか、こんな事になるなんて!と。
結果的には、病院に行くほど大事には至らず、回復した後、何よりも先に慌ててトイレの目地掃除に励んだとのこと。
「あんなギリギリの苦しい時に、人間っておかしな事を考えるもんだな~。」と、父は不思議そうに、神妙な顔つきで話していました。
亡き母ならともかく、父がそんな事を気にするなんて意外で、私も驚きました。
1歩間違えば大ごとになっていたかも知れないのに、
「でも掃除したから今は綺麗やろ?(^-^)」
と笑う父を見ていると、何とかせねばと(°_°;)(; °_°)焦ります。
そして、この話を聞いて、私はある事を思い出しました。
まだ私が20代の頃の友達の話。
「ウチの母親、いつもパンツ(下着)だけは綺麗なのをはいてんねん。何で?って聞いたら、いつ事故にあって人に見られるか分からんやろ?って^^;」
そのお母さんも、確か知り合いか、本人かが病院に運ばれ、下着が気なってしょうがなかったとか。
その時も友達と「そんな時に下着がどうのって思うのかな~、何か良く分からない感覚だね~。」という話をしたのですが。
他にも、救急車呼びたいのに、下着が気になり、苦しいのに七転八倒しながら着替えた、
「私、こんな時に何やってんだろう?って思った^^;」という人の話も聞いた事があります。
苦しい時に、小さな事が気になる矛盾を、
誰より本人が1番、強く感じるのかも知れませんね。
私も身動きできず病院に運ばれそうになったら、日常のささいな事がチラチラ気になったりするのかなぁ?
家族の顔を1人1人思い浮かべる、、なんて事より
「あ~、明日ゴミの日なのに早く出しておけば良かった~、こんな時に限って溜め込んでるわ~。」とか、、?^^;
人生の大半は日常で、日常は小さな事の積み重ねで、
その小さな事を、人は自分も予想できない位に大きく気にしながら、こだわりながら(プライドを持ちながら)生きているのかも知れません。
それは非常事態の時でさえ、捨て去れないほど。
そんな事に気づかされたような父の話でした。

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